見えないものを見る

 

回収した牛乳パックがティッシュになって帰ってきました。「おかえり!」ティッシュ。
それは本題じゃなくって、まえにある積み木。
いくつあるでしょう?


小さなお子さんにこの状態を紙面に書いたものを見せると 、

かなりの方が「5個」とか、「6個」と答えます。
実際に自分で積んでみて、「あ、7個や!」と気づかはります。
低学年のクラスでは、英語教室に関係なさそうな「頭の準備体操」をします。
その中には、このブロックを数えたり、鏡に映った絵を考えたりする問題があります。
5分ほどで終了するのですか、その後で、「なんで英語教室でこんなことするか分かる?」
とたずねてみました。
「…?」
大人の方ならなぜ必要なのか分かりますか?
それは、国語も算数も英語も、根っこが同じだからです。
どの学習も、目的は「見えないものを見る。」ことなんです。



ちょっと想像してみてな。
「空を飛ぶ亀。」 …子供たち、にやり。
「ね、そんなもんいいひんのに見えるやろ?」
さっき、見えないブロックが頭のなかで見えて数えられるようになったみたいに、
ことばには見えないものを見せてくれる力があるねん。
その後10分ほど、生徒さんたちは目をキラキラさせて
次々と実際には無いものをことばで描き出してくれました。
「教室中を飛び回る500ポイント券をつかまえまくる。」
「あ、やめてやめて、それ先生が困る~!」
生徒たちいたずらな顔をしてにやにや団結したところで終了。
算数の文章問題「どんぐり倶楽部」糸山泰造氏が、
著書で絶対学力について「視覚化」を強調されています。
英語について書かれたものでも、日本語の論理的思考に関するものでも、
ことばや概念を扱う基礎は「ことばを使って頭で見ること」で一致しています。
入門期に「何が」大切なのか、これが一つの答えです。
その先に、心が動き、自分から学べる力や、
論理的に道筋をみつけられる為の学習などへつながる。
まだまだ抽象的ですが、HOWとWHATへ具体化するのが私の仕事、
と思う今日この頃です。
もとへ戻って、うちは英語教室です。
「なぜ」英語なのかというと、それが見せてくれる世界は
日本語だけの場合よりも広く、色どり豊かだからです。
とはいえ、論理的思考、日本語の大切さは英語学習よりはるかに大切。
生徒さんの協力を得て、英語教室に必要な日本語について日々手探りで研究中です。
この点も発見を文字化して、ここに記していこうと思います。
今日の〆はウサギの「白玉」でございます。
ゴードンは私の朝ごはんを泥棒したので謹慎中。 あしからず。

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