ものごとは言葉でつくられる

朝天気図を見たら、台風がわが町を直撃しそうな進路。

レッスンをすべて休講にして、今日はPCの前に根を生やしています。 

5月ごろ、とても仲の良い兄弟のお母様とお話をしました。
お兄ちゃんのことが大好きな3つ下の弟君。
どんな事したいか聞いてみると、いつもニイニイのしてるのと同じことがしたい。
確かに頼りがいのあるいいお兄ちゃんです。
でも、兄弟の個性は明らかに違う。
お母さんはお兄ちゃんの後追いばかりする弟に、
もっと視野の広がる体験をさせてあげなくてはいけないのでは?
と心配しておられます。

お母さんの心配もよく分かります。
いつもよく勉強して物事を深く考えるかたで、尊敬している方です。
でも、なんだかそうする必要はないような気がします。
どうしてなのかはうまく言えません。
そうすると、お母さんはA先生のアドバイスについて話してくださいました。
「弟さんは、立派に意思表示をしておられるから大丈夫ですよ。
お兄ちゃんのようになりたい、というのは立派な弟さんの意志です。」
ときっぱりおっしゃったそうです。
そうなんです。
自分が育たないのではないか、と心配していた後追いは実は立派な意思表示だったんです。
私もA先生のおっしゃる通りだと思いました。
A先生の明確な説明で、後追いという行動の意味はすっかり変わりました。
教室をしていると、親御さんが迷っておられる場面によく出会います。
往々にして、見方を変えれば違ったとらえ方ができるケースがあります。
事象そのものに因果関係はあっても、良いとか悪いとかいう価値判断をするのは私たち人間です。
そんな見方ができるようになるためには、よ~く物事を見ないといけませんね。
広い見識が持てるよう、謙虚に勉強もしなくては。 
考える葦にとって言葉はやはり大切で、言葉が事実を作っていくのだから。
4月の写真です
八重桜が咲いて、新緑が濃くなって、
有頂天といえるぐらいるんるんしてた春。
また桜が咲いても、あのご兄弟はきっと仲がいいんだろうな。

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