評価:
村上 たかし 双葉社 ¥ 800 (2009-07-07) コメント:映画の宣伝から気になってたら、娘が買ってきた。犬がかわいそうな本を開ける勇気なんて無い。 「犬は幸せだから..」と説得されて読んでみた。 読んで良かった。 作者のあとがきが今も頭から離れません。
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犬の絵がかわいくない。
不細工である。
だから余計に愛おしい。
おじさんが余りに不器用である。
だから切ない。
「星守る」とは、手に届かないものを願い続けることだそうです。
もの言わず、主張もせず、あるがままを受け入れる(しかない)
そんなワンコたちと、
特に気がきくでもなく、人間関係に器用でもなく、
特にいい人でもなく、でも決して悪い人でもない、
そんな男の人たちのお話しでした。
そして、そんな人が幸せになりにくい世の中。
作者は、それでいいのかを問いかけて来ます。
なんだか、はっとさせられました。
だって、英語教室では生徒さんが少しでも幸せになれるように頑張っているわけですが、それは「できる」人を作ることであり、少し角度を変えれば「勝てる」人を育てることにもなります。
勝つとか、負けるとか。
他と比べて幸せになろうとすることを
「浅はか」と馬鹿にしつつも気がつくとそんな物差しに手が出そうになるのです。
ツイッターでフォローしている1人に、
「五体不満足」の著者、乙武洋匡さんがいます。
先日、大阪では「アホの坂田」という通称で親しまれる人がいることから、自分なら「カタワの乙武」かな。
という趣旨のご自身の書きこみがありました。
乙武さんは普段から自虐的ささやきをされることがあるのですが、今回はドキッとしました。このことば、あかんやろう、と。
非常にたくさんの反響がありました。
そのままの言葉をこちらで読めます。
http://togetter.com/li/152112
道徳の教科書にしたいようなやり取りですので、ぜひ一読をお願いしたいのですが、私なりにはしょったまとめは…
○言葉そのものが絶対的差別用語なわけではない。
-乙武さんは「背が高い」は、そのことを気にしている人にとっては嫌な指摘であると例を挙げられていました。
○話す人、聞く人の気持ちによって言葉の持つ意味は変わる。
ー「障害者」が、最近「障がい者」という表記に変わったようです。害という漢字をひらがなにすることで、嫌な気持ちが軽減された人がいる一方で、そう言っておくことで面倒な問題を回避できると考える人も多いことを指摘した意見がありました。
私自身は、その言葉で傷つくひとがいるかもしれない言葉は、あえて使わないでおきたいと思います。 江戸時代に、より低い身分を設定することで、その他多数のひとに満足感を与えようとした卑劣な制度のように、「自分はあの人よりはましだから」という幸せはあってはいけないのです。
身体的差別用語にはそのような、つまり他者の持つ相違点を欠点として強調することで、その欠点のない自分の優位を確認する作業の「におい」がします。
今、学歴、偏差値、収入、種々の序列と、数字にまつわる比較が社会に蔓延しています。そして、数字が上であるほど優れているという価値観を日々刷り込まれます。
数値化は、現代社会を動かす上では必須の要素で、公平さを保つためにも行き渡るべきだけど、優劣や多少の違いそのものから、幸せは生まれてこないと思うのです。
冬に根が枯れたサンスベリアの葉っぱを集め、
植木鉢にさしておいたら、根がでてきました。
私がつないだ命。
日に日に良くなるつやを見るのは幸せなことです。
庭のカエルが大きくなって、蛇の口に入らないくらいになりました。うしうし。 よくがんばった。
今日は荒れた気分で教室にやってきた生徒さん。
ー私はあなたを見ていますよ。
という信号を発したら、ちょっと落ち着いてくれました。
こんな時、とても幸せだと思います。
自分自身は、がんばることが好きです。
生まれついての貧乏性で、そうしないと落ち着きません。
たまに、頑張らないひとを非難してしまうこともあります。
だから何に対して、なぜがんばるのか、ちゃんと考えないと、
「がんばる」が美徳としてが独り歩きするかもしれない。
みんなが「とにかくがんばる」世の中なんて、
きっとあのおじさんや、ワンコには住みにくいことでしょう。
君の幸せは、その目線の先にある
「ジャーキーのおかわり。」
それはいつまでたっても「星を守る」だよ。
手に入らないの。