奈良、信貴山 千手院でディベート合宿に参加したのは
紅葉の盛りの11月23,24日連休。
1つの論題に対して肯定・否定にわかれて論陣をはるディベートでは、肯定していた舌の根も乾かぬうちに、否定の意見を主張する。
こんな事を繰り返しているうちに、肯定する意見を考えながら、否定する意見がでてくる脳に変わってきたと感じている。
松本先生の「六角ディベート」では、立論の「石」それを崩す「風」の他に、「火」「水」というエレメントがある。
客観視が必須のディベートに、主観と感情を持ちこむのが火。
水にいたっては、相手の意見に良く耳を傾け、相手の主張をくむ。
その上で、やはりこちらが正しい、という結論を導かなければならない。
石に始まる立論から水による結論まで、
色んな役割の中に1つの哲学が通っているか、そこが一番求められる。
チームのキャプテンたる「空」はメンバーが困った時にはチームの哲学に基づいて補ったり、時には修正したりする。
今回、試合中に先生が
「対戦している相手を負かした時にも、相手に対して、ええこと言うてるのに
残念やなぁ、ぐらいに思えることが大事。」みたいなことをおっしゃった。
この言葉をきいて、戦いを上の方から見ているもう一人の自分がいるようになった。
必死で頑張る自分を見ているもう一人の自分。
その自分の中は、波のない水面のよう。
とても静かで今までより色んなことが見えている。
これが空の境地????
自分の立つ側と反対側、主観と客観の中央にあり、そこには自分が無い。
合宿終了後に、もう一人の自分について感想を言うと、短く「よし。」とつぶやかれた。
すごくすごく嬉しかった。
これが認められる嬉しさなんだと実感した。
たった2語がうれしかった。
合宿では宗教というタブーが論題に取り上げられ、
私の中にある日本人的宗教観をちゃんと知りたいと思い始めた。
座禅をした部屋には、お釈迦さまと悟りについて描かれた絵があった。
修行中に村の娘が差し上げた牛乳をのんで、厳しい修行ばかりするより、中庸が大事と気付かれた。
う~ん。 中庸か。 空…やん。
忙しい合間を縫って、すごく広く薄い…けど、宗教関係の本を読見始めている。
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すごく忙しかったのは、つぎにこの行事があったから。
12月7日(日)こども英語見本市
私はOBK 児童英語講師 自己研鑚の会から
「プレ・フォニックス練習帳」のお披露目をした。
他のプレゼンターの先生方はまさにドリームチーム。
マーブルズ 小口先生
ctm 京先生
IIEEC 松本先生
セルム(BBカード) 難波先生、中村先生
けこりん英語教室 藤林先生
EETRAC がめら先生
mpi 伊藤先生
半端ないプレッシャーの中、何度か徹夜して準備し、OBKがお披露目したのは音声教育に関するものだった。
まず従来の教え方では、取りこぼしている生徒がいるという観点。
そこから違ったアプローチの必要性を考えるんだから、従来の教え方に疑問を呈する部分もある。
一方、違う教室ではまさに従来の教え方のプレゼンをがされている。
A式とB式どちらがいいのか?
そういう話にはしたくないと、計画段階から気を付けていた点だ。
当日参加してみると他にも対立する軸はいくつも見つかる。
演繹的(積み重ね)⇔ 帰納的 (全体から個へ)
形が大事 ⇔ 内容が大事
訓練 ⇔ コミュニケーション
単純化するとこのように受け取れる。
自分のプレゼンで、「手掛かり読み」を読めない原因として挙げた。
けこりん先生は、「手掛かり読み」を大いに勧めていた。
簡単に2者択一の目でみた先生方もいたと思う。
私は手掛かり読みを否定しない。
ルールに準じないサイトワードは覚えちゃうしかない。
その場合は色んな手掛かりで覚えることになる。
大前提:読みのルールが無いものに適用するルールは無い。
事実: 英語には読みの規則から逸脱した語が多い。(フランス語などはほぼ規則通り)
頻出語にサイトワードが多い。
主張: 読めるようになるには、サイトワードを覚えるべし。
前提とデータが違えば他の主張だって導けるだろう。
読みを楽にするにはルールを適用するのが良い。
ルールを覚える時は手掛かり読みを排除するのが良い。 等など…。
大事なのは、先生や生徒の個性、教える環境という条件次第で、
ちがう結論が導けるということ。
他の対立軸についても、双方の肯定・否定が見えてくるはずだ。
始まりの会で村上先生がおっしゃった、
目の前にいる生徒のために、最適な教え方を与えられる引き出しが大事、とはまさにこのことだろう。
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生徒の点数が悪くて困っている。 なにかいい教授法がないか探している。
と書きこまれていた。
終わりの会で「みんなを連れていく」思いを語ったがめらさんに、
「困っているのは生徒ですよ。」と一括される場面だ。
160名の参加者の中で、何人の先生がこう思っていただろう?
困っている子を伸ばせないのは自分の引き出しの少なさと、生徒を見る目が無いからだと。
私も引き出しは多かったが、子どもを見ることができていなかった。
経験の浅い先生や、自分を変えずらい環境の先生なら、自分は精一杯している、できないのは子どもだと思うのも仕方がない。
今回こられた先生がかつて私の引き出しを増やしてくださったように、私は伝えていかなくてはいけない。
子どもの教育に関わるものとして、私たちにできるのは自己研鑚のみ。
人は変えられない。
でも変わった自分をみて変わってゆく人はいる。
ドリームチームのなかで、かつて自分の先生感を変えてくださったのは難波先生だ。
先生は、教えるなという。
昔、明治生まれのお茶の先生は、「習いたければつかみ取りなさい、待っているようでは学べないですよ。」と言うオーラを発しておられたが、難波先生には同じものを感じる。
解説を聞くと、随分深いところから作られた教材だと感じるけれど、「これだ」という確信はない。
でも、子どもにとって英語が簡単なものになるし、とてもOrganicなのでずっと使っている。
講師控室で、村上先生がBBカードの素晴らしさに驚いておられてた。
Word Awareness についてちゃんと考慮されている。
そんな教材は見たことがない、とのこと。
村上先生の学術知には私とは違うことが見えているようだ。
実践知をつなげて、BBの宇宙を描き出せたら、と思った。
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ディベートの話にもどると、私は政策ディベートとやらがからきし弱い。
総論賛成哲学は通した、で、各論どうしましょ!?
形にしないと、動かないと前には進みませんよ。
情けないこと。
でも今回、プレゼンの準備を通して少し変われた気がする。
前提:プレフォニは素晴らしい
事実:私がしないと今回は世にでない。
主張;私がするしかない。
これが私の原動力のすべてだった。
最澄と、空海。
がめらさんは二人の勝負を決めたのは、最澄の嫉妬による敗北だと解説した。
御意。
金銭、名誉、嫉妬。
人の目が曇り、天からのエネルギーが降り注がなくなる。
子どもにこの教材がとどきますようにと祈って作業したものだ。
思い立ったが吉日
だけど….果報は寝て待て。
待つ時代じゃないかもしれないけど、それはものの理で、
万物の理に 神様を見出すのが日本の宗教観だと思う。
次はどう動く?私。
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A or B
A and B
悪いことの例えにされる日本人の美徳。
今回の見本市は、Aand B、 対極を見ることで自分の視界がひろくなる体験だった。
組織もお金もない私たち。
理にあったことをすれば力は注がれると信じたい。
人はこちらを向いてくれている。
まだ存在さえ知らない人の方が圧倒的に多いんだけど。
どう動く? 私たち。
デイベートと英語がつながった日
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