唯足るを知らず


アメリカのカード破産
The Gospel of Consumption
蟹工船
この3つのつながりはなにでしょう。
私の中でこの3つつなぐキーワードは、ソビエト崩壊です。
冷戦時代のさなかに青春を送った年代ですから、世界を2分した東西という分裂が消滅し、現実が歴史になる様はとても不思議でした。 そしてそのころから、資本主義の独り勝ちはどこへ行くことになるのかと思っていました。 
今日、「100年に一度の大変な時期」とのことで、2兆円にのぼる経済振興のためのばら撒きが発表されました。100年といえば、前の戦争のほうがよっぽど大変だったと思うのですが、いづれにせよ、サブプライムローンに始まった今回の混乱はいづれ身の回りにも及ぶでしょう。
このサブプライム問題の震源地アメリカでは、1920年ごろThe Gospel of Consumption という動き?がありました。その頃の多くのアメリカ人は、必要なものが手に入るともう満足してそれ以上を欲しがらなかったので、物を売りつづけて経済活動を活発に継続したい企業が、持っていてもさらに欲しがるように人を変えていったのです。その後の世界を見れば、経済界の戦略は大成功したことが分かります。
先日NHKで特集していたアメリカにおけるカード破産の増加は、その先をゆく驚くべきものでした。クレジットカードで物を買い、リボ払いで毎月一定の小額を払う。限度いっぱいになると、次のカードを作る。その繰り返しで、ついに新しいカードが作れなくなると破産するのだそうです。夫婦で病院勤務という破産者がインタビューで、「今まで収入の範囲で暮らそうとか、家計について考えたことは無かった。」と答えていたことが一番驚きでした。 カードが無審査で発行されるなど、そこには個人の自由の名の下に、人間の尊厳よりお金を使わせることを優先する人たちの思惑がみてとれます。
振り返って日本。10月25日のふと見た京都新聞の夕刊に、辺見庸氏の蟹工船に関する記事が載っていました。最近再びよく読まれるようになったことで注目を集めているこの本、今の若者は、余りに現実感がなく、でもとてつもなく恐ろしい話という意味で、まるでSF感覚で読んでいるようだと。
記事を読んでショックだったのは、権力に殺された、という印象だった小林多喜二の最後が、[墨とべにがらをまぜた」ような実に凄惨なものだったことです。20世紀には権力が個人に対していかに非情になりえるか、よく取り上げられました。
「労働者が北オホツクの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役たちには、どうでもいいことだった。資本主義がきまりきったところだけの利潤では行き詰まり、金利が下がって、金がダブついてくると…どんな事でもするし、どんなところへでも、死に物狂いで結露を求めだしてくる」 (蟹工船より)
辺見氏は、[蟹工船」セールに乗り出した側は、多喜二の思想を広めたいのではなく、売れるから売っているのだろう。と結論付けていました。
国民が自分を守ることより、経済がまわっていることを優先する。アメリカはある意味当然の結果として今の事態を招いたわけです。
今、日本では憲兵や徴兵による人権侵害はないけれど、経済の問題は自分も常に加害者側でもあるわけで、話はより複雑です。アメリカの今日は10年後の日本、という時代が続きましたが今回はどうでしょう。
京都竜安寺のつくばい(お茶室に入る前に手を洗うところ)には「吾唯足知」(われただ足るを知る)と書かれています。今の自分に満足し、心の平安を得る大事さを解いた言葉です。

歴史を忘れた国は滅びます。
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そういえば、買ったまま読まずにおいてある「老荘を読む」という本がありました。
ん?
「知る者は言わず、言う者は知らず」

やだ。もう寝ます。

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