めずらしく結論から言うと、今の私にできることは考えることだと思いいたりました。 なぜなら「テレビでゆうてたし」「新聞に書いてあったし」と、確かな情報の証しであったマスメディアが、ちょっとおかしいと気付いたからです。
震災が起こってからしばらくは、テレビに釘付けでした。
感情移入しすぎて見られない映画が多い自分が、
テレビから流れる悲惨な状況には、お茶の間から人ごと視していました。あまりの自然の脅威に目を奪われたのかもしれません。そこに人がいることさえ忘れるような映像でしたから。
テレビの前でツイッターも見ていました。
震災直前に京大入試のカンニング事件や、前原外務大臣の外国人献金辞任事件がありました。一連のテレビや新聞報道に釈然としないものを感じたのですが、2月ごろにみ始めたツイッターの世界では脳科学者の茂木健一郎さんなどが、非常に納得のいく情報やモノの見方をしめしておられましたので、私の求める真実はネットにあり、と確信していたのです。
ツイッターでは、震災直後に神戸の震災経験者が
「今、役に立つのはプロの自衛隊だけ。一般のボランティアはもう少し時間がたつまで現地入りしないように。」と書きこみました。 自身の体験をもとに、いてもたってもいられない心やさしい若者たちが、迷惑者になってしまわないように、冷静さを求めたものです。
安否確認の仕組みが立ち上がるまで、ホリエモンは個人単位の安否問い合わせ情報を寝ずに拡散し続けました。 彼が意外にも(失礼!)無私でこの国のことを思っている人だと気付き始めたきっかけです。
いくつかのデマも流れましたが、一方でデマの出所を突き止める仕組みも作られたようです。(未確認ですが。)
ツイッターの情報は、自分がだれのつぶやきを聞くかによって偏ることもありますが、両極端の反対意見も本人から直接耳に入るところが素晴らしいのです。池田信夫さんと孫正義さんの正反対ぶりなど、すごいです。
震災で一番ショックだったのは、完全な人災である「原発事故」です。 今までに分かったことを自分なりにおさらいすると、技術者、運転にかかわる方々の努力と誇りの結晶である原発は、M9の地震そのものには耐えました。 そのことは評価するべきだと思います。 事故後の冷却用補助電源が津波で水没して使えなくなったことが今の事態を引き起こしました。
大前健一さんのYou Tube特別番組によると、柏崎刈羽原発で事故が起こった時、東京電力には他の原発の非常用電源も、安全性の見直しをするべきだという進言があったのに、ずっと放置されていたそうです。 東電の中でも原子力の部門はやっかいもので、この部門からは役員がでていない、という社内事情も事故後の対応のまずさにつながったかもしれません。これは人災です。
さらなる人災が、メディアによる風評被害です。
あちこちで発表される数字。専門外の私には、残念ながら判断できません。ただ、1シーベルトを1000ミリシーベルト、100万マイクロシーベルトと言えば、同じ数値であるにもかかわらず、心象として最後が一番大きく感じる、ということは分かります。
一般庶民である視聴者に、正しい情報をつたえるべきメディアの一部に、わざとショッキングな数値を用いたものがあったのは残念です。 その数値がどう危険なのか、そちらの方が大事なのに。
また、「今のまま汚染が一年続くと仮定すると」、という計算式による予想値もどうなのでしょう。 最悪に備える必要性の一方で、福島県全体に事実と異なるレッテルを張ることになっていないのでしょうか。
核廃棄物の扱いを考えれば原発には反対です。では今現実的に使われている火力の燃料の一つである石炭は「いい」のでしょうか。地球温暖化を悪化させる以外にも、日本で起こっていることではないので注目されませんが、採掘現場で毎年多くの人命が犠牲になっています。 原発で数千人の死者はでていませんから、原発のほうが安全性は高いともいえるのです。
倫理的、経済的、計る側面により、違う答えがでてきます。
放射能を特別視しなければいけない理由、私は本当に分かっているのかな?
マスコミは事故がレベル7に認定された時、「チェルノブイリ級に!」と見出しを書きましたが、それは6の次の級が7しかなかったから、というのが事実です。原発大国フランスや、チェルノブイリの当局者であったロシアが、すぐに福島第一原発の事故は同等のものでない、というコメントをだしています。 そういう意味では、「誤報」といえます。
ちなみに1950年から60年代に、世界の核実験で放出された放射能はチェルノブイリの数百から数千倍だったそうです。1958年生まれの私たちの年代は「放射能の雨にぬれると禿げる。」と言われた思い出があります。もうすぐ世界中の同年代がバタバタと癌に倒れるんだろうか。
放射能は遺伝子を傷つけて癌や奇形になる。これがみんなの恐怖の正体と思われますが、この「遺伝子」は遺伝しないそうです。つまり、広島の被爆者の2世に、放射能による奇形はでないのです。チェルノブイリの影響ででいまも子供に癌ができるのは、そこに残る放射能に被ばくするからであって、親から傷ついた遺伝子を引き継いだわけではないそうです。 原発周辺の方の縁談が破談になるような風評被害は、許し難い偏見です。
重ねがさね、廃棄物を子孫に押し付ける意味で原発には反対ですが、放射能に対する冷静さを欠いた反応は、地元の方に必要以上の重荷を強います。事なかれの政府や東電などの当事者と、一方であおることで視聴率をとりたいマスコミのはざまで、失われているのは日本という国への信頼なのではないかと心配しています。
テレビや新聞が、自分たちに都合のいいことだけしか取り上げず、横並びで同じ見方をしていることにがっかりしました。
そしてツイッターに、「デマを流した媒体」とのレッテルをはり、自分たちが「正しいメディア」である、という主張をし始めていることに、恐ろしさを感じています。
どんなことが起こっても、正しく恐れる必要があります。
そのためには、情報のバイヤス(偏見)を見抜く力が欠かせません。 人間の本性は変わることなく、あの戦争を反省した人々が社会から消えつつある今、平和を襲ったこの悲劇から、学ばなくてはいけないと思っています。
いいお話しばかりが書かれたサイトを紹介していました。
その一つ。
被災したお年寄りが呆然と避難所に座り込んでおられました。
するとそばにいた高校生ぐらいの子が、
「大丈夫、ぼくたちが絶対に今まで以上のまちにしますから。」
と励ましたそうです。
大丈夫。
日本は立ち直れます。