8月16日はお寺のお施餓鬼。
塔婆を回向していただいて、
住職の法話を聞き、
お墓参りをします。
もう40年以上、欠かさずに家族でおまいりします。
今年の法話は、
40過ぎたら親からいただいた顔や体も
自分の生き様を映す鏡となる
自分の話していることばがその人を作る
という二つの切り口から、
浄土宗は「南無阿弥陀仏」というお年仏を唱える宗派ですから、
お念仏を唱えている時、人は仏のような顔になるのでは?
という問いかけでした。
目的がお念仏の押し売りというわけではありません。
色々身近なたとえ話から、思わずわが身を振り返ります。
そういうお話を聞いて、今の自分を振り返る。
お盆は一年に一度、自分を正す機会だと、住職はおっしゃいました。
お施餓鬼がそのように機能しているから、
毎年惰性ではなく出かけていけるのだと思います。
お墓におまいりします。
最後に近所の 年輪の里 という公園内で、
お昼をいただきます。
今日は食事制限されている夫は、別メニュー。
そのすぐ横で、豪華な定食をいただいてしまいました。
7つの大罪(キリスト教でしたっけ?)の一つ
「大食」
またもや煩悩に負けてしまった。
ごめんね。