どけちと有機

 
大木の茂る森…ではありません。

パセリです。

一家6人の生ごみと落ち葉にミミズの協力を得て、
ほったらかし農法でも収穫を届け続けてくれた貸農園を返還する時が来ました。

人さまの土地ですから、どんなに手塩にかけて育てようと、
この時が来るのはわかってましたが、
ふかふかの土にたくさんの虫や蛙が賑やかに暮らしているここが、
もうすぐブルドーザーで整地され、「土地の有効化活用」されるのは
やはり寂しいですね。

食べないままに花が咲いた水菜とブロッコリー(4・16)

水菜とブロッコリーを一番よく食べたのは、
家にいた2匹のロップイヤーのうさぎさん「はんぺん」と「しらたま」でした。
パセリも雑草も、うさぎさんたちは旺盛に食べまくり、
たくさんの糞にしました。

 

糞は消臭効果のある木のチップと混ぜ、
畝の間に撒いておきますと、ミミズや微生物がよい土にかえてくれました。
自然農法に惹かれるのは、一般には「ごみ」と呼ばれるものが
「肥料」という宝にかわるのが楽しいからだと思います。

 

生ごみ、落ち葉、雑草、糞、虫、ミミズ、カエル。
一般的には宝物とは呼ばれないものばかりです。

薬をやらないと虫が来ますが、カエルさんが住みつけば、
かなりのものは食してくれます。すぐれた農薬ですね。
青虫はこまめに取って烏骨鶏にあげると、これまた極上のおやつとなります。
糞は窒素肥料として良く効きます。

雑草は繁殖力の強いものは根こそぎ引いて乾かしてマルチ(土を覆う材料)にしたり、
弱い者は地上部だけをマルチに使って、根はミミズの餌にします。
経験から言うと、雑草のある土の方がよい状態に保てます。
マルチを欠かさないのも、土が微生物とミミズのおうちだからです。

ただし、大変手間がかかりますので、「生業」としての農業には向きません。
品質の安定したものを常に生産し、利益を出し、
現金収入で車を買ったり、子どもの教育費をねん出する職業としての農業は
全く別の視点で見なくてはいけませんから。

でも、家庭菜園は利益がでなくていいです。
消費と、それを支えるための労働。
この単純な都市生活の一方通行に「生産」という営みは大きな満足を与えてくれます。
この満足感、どうやら満たしてるのは「どけち」な私の心のようです。

先日、ラジオで「オーガニック」という言葉について語られていました。
日本語では「有機」と訳されていますね。
化学肥料を使わずに作るものに使われます。
この言葉がつくと、お野菜も随分高くで売れるようです。
そんな実情を目にすると、私にとってはエコと並んで
商業主義に利用されている胡散臭い言葉なのですが、
語源は中国にあるそうです。

そして「機」はシステムを表すそうです。
organ, organizeから来たのかと思いきや、
originalと相通じるそうで、
自然が「本来」持っているシステムを指すらしいのです。
有機とは、そこに神様(特定の宗教を指すわけではないので、
The Higher Power という方がふさわしいですね)の仕組まれたシステムがある、
ということです。

自分への判断を「人」にゆだねると、翻弄されます。
「どケチ」な私としては趣味の範疇でさえ人に振り回される無駄はいやなのです。
もとめるならば、ゆるぎないものに認めて欲しいと思います。
そして、物言わぬ土は決してぶれない、信ずるに値するものです。

生ごみ、落ち葉、雑草、糞、虫、ミミズ、カエル。
人が見向きもしないものたちは、私にとって
The Higher Power の意思を確認するための大切なチャンネルなのです。

貴重種の日本たんぽぽが咲く貸農園。
最後の収穫は玉ねぎとエンドウです。
返す前に、ミミズをなんとか救出して我が家へ連れ帰ろうと思っています。

畑にはいつくばってミミズを拾っている変なおばさん。
無駄を嫌って、究極の無駄を重ねている自分が、私は大好きです。

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