知ることとわかること

投稿日: カテゴリー: 読書日記
評価:
Steve Van Matre
Inst for Earth Education

¥ 3,082

(1983-12)
コメント:古い本ですが、今もわたしのバイブルです。 レイチェル・カーソン、ヘレン・ケラーの言葉や、著名な作家の作品からの引用、禅の教えなど、様々な地球の声が話しかけてきます。

 26年前に出版された本です。 以前持っていたものを無くしてしまい、先日同じものをamazonで購入しました。 新品が手に入りました。 この本は、絶版にしてはいけないと思います。

Zen Verse

If you understand, things
are just as they are;
if you do not understand, things
are just as they are.

あるページに書かれた禅の教え。
最初はものごとが不動のものであることを説いているのかと思いました。
しばらくして、そうではないと感じ始めました。
ブログに書こうとしましたが、本をなくし、
正しい引用ができないので記事を書かないままに1年ほどがたちました。

今、英文をタイプしていて確信を持ちました。

改行箇所が普通ではありません。


Then, what will change if you understand?

私は以前自分にこう問いかけました。

自分

この答えを思いついて、視界がさっと開けました。
この教えは知ることのむなしさではなく、大切さ、または目的を説いています。
この改行位置に気づいて、確信しました。
things 「は」変わらないこれど自分は変わるのもだ、と書いてあるのですね。

地球を感じる晩秋の琵琶湖です。

昨日ブログに書いた宮沢賢治の解説本に、
「知ることとわかることはちがうから。」とありました。
「わからない」ことは「わかる」より偉い、という賢治の感じ方を表すことばです。

「わかる」という言葉にこだわってみると、
実は英語の understand と、日本語の「わかる」は別物です。

I understand how Kenji felt.
わたしには賢治の感じかたがわかります。

日本語では 「~をわかる」 ではなく、「~がわかる」です。
これを文法的に目的語の前に「~が」を用いる例外的用法、
と解釈するのは間違いだそうです。
なぜならこの日本語は、私はいま賢治の感じ方と同じ境地にいる、ということ、
つまり私と賢治の境地がイコールの関係であることを表しているのです。
「賢治の感じかた」は、理解(征服)する対象ではなく、そこへ達して共有するもの。
こういう発想は日本独特のものではないでしょうか。

(この説は、ある大学受験用の長文問題に書かれていた解説を参考にしました。)

君の考えてることはわかりやすい。

友人がブログに、オノヨーコさんの引用で
「日本の文化は 間 の文化である」と書いていました。
「わかる」という言葉にも、その境地へいたる長い道のりと、
そこへ達したとき、自らを取り囲む広い空間を感じます。

賢治も、「わからない」と悩みながらその道のりを行こうとする気持ちこそ尊いと思ったのでしょう。そして、「本当にわかる」などという悟りの境地はなかなかたどり着けないこともとっくに知っていたのです。

「間の文化」といえば、最初に引用した禅の言葉も
大切なことは行間に書かれていました。
スピードとわかりやすさばかりを追求する今の世の中が、
ペラペラしているのも道理で納得がいきます。

もっと自分もこの国を知らなくてはもったいない。
ですよね。

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